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Design Tourism

2024.04.19

デザインツーリズム@広島 後編

初代、日本空間デザイン賞KUKAN OF THE YEARを獲得した広島平和記念資料館にて受賞者現地ツアーを開催しました

「デザインツーリズム・受賞者現地ツアー」の締め括りである後編は、KUKAN OF THE YEARを受賞した本館だけでなく、 DSA日本空間デザイン賞2017で大賞も受賞している東館もセットで視察。デザインを担当された丹青社田中利岳さんの現地解説付でお届けします!(末尾に特別インタビューあります)

 

デザインを担当された 田中利岳 氏(株式会社丹青社)

<プロフィール>
主にミュージアムを中心に文化・公共空間(人災、天災、防災、疾病、人道、環境、科学、埋文等)全般のディレクション・デザインに携わる。本物の資料と情報に向き合い、展示ストーリーの可能性を追求し、社会との接点の意義を問いながら、全国を行脚。

 

 

<主な実績>
-陸前高田市立博物館-
KDA日本空間デザイン賞 KUKAN OF THE YEAR RUNNER-UP/金賞、グッドデザイン賞、 iFデザイン賞 他

-エコルとごし-
KDA日本空間デザイン賞 Shortlist、グッドデザイン賞 、キッズデザイン賞、iFデザイン賞 他

-広島平和記念資料館-
KDA日本空間デザイン賞 KUKAN OF THE YEAR/日本経済新聞社賞/金賞
DSA日本空間デザイン賞 大賞/日本経済新聞社賞、ディスプレイ産業賞 大賞/経済産業大臣賞、D&AD賞 YELLOW PENCIL、Best of Year Awards Winner for Museum/Gallery 他

 

市民の日常の風景から始まる

導入展示としてまず最初に目にする資料は、広島平和を象徴する原爆ドームの被爆前の姿、産業奨励館です。これは当時の市民の日常の風景であり、来館者にとっての当時の日常と目線を合わせる最初の手立てとしています。と田中さんの展示解説は始まりました。

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

「被爆の瞬間を意味する86日の壁」

展示の工夫はサインから始まります。(以下田中さんコメント)

被爆の瞬間を意味する8月6日の壁、閃光という爆発の瞬間降り注ぐどんなものも貫く光の有り様を匂わせるサインとして、壁の中から発光させるサインディテールと、爛れた壁にその瞬間を象徴する時間の資料写真を固定の映像で投影するバランスに拘りました。そして、8月6日の壁の通路部から生まれたボリューム(破壊の瞬間)を、ゾーンサインへと展開し、各ゾーンはこの瞬間から生まれた核兵器の惨劇と平和への想いの2軸にのっていることを示唆する機能として整備しました。

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

「解説を一切持たない360度の焦土の広島」

被爆後の展示は、解説を一切持たない360度の焦土の広島市内の写真で空間を包み、当時の凄惨さを場として嗅ぎ取ってもらう空気に徹しています。

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

映像演出により、原爆がさく裂する瞬間を目の当たりにするホワイトパノラマ

写真のリアリティーに対し、映像演出でのリアリティー。俯瞰による資料としての事実を伝えたかったのか、エノラ・ゲイに搭乗する米軍の目線も表現したかったのか、あえてそこは質問しないようにしました。観た人の感じ方は、観た人の数だけ存在すると思うから・・・

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

「少女と巨大なキノコ雲の写真」

そして、原爆投下3日後の焼け野原に立つ少女から本館の展示が始まります。そのうつろな表情に来館者各々がしっかり少女と向き合い、当時の状況を想像してもらう為の入口です。

本館アプローチでもある巨大なキノコ雲の写真群。徐々に爆心地へと近づくきのこ雲と大火災の間を逃げ惑うようにくぐり抜ける。時系列で「起こったことのリアリティー」を切り取り、来館者を当時へと引き込んでいきます。写真の下部には小さく映っている人の姿・・・「人のスケールからキノコ雲の大きさを想像していただけたら・・・」と田中氏の展示目線での解説が続きます。

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

「無数に横たわる動員学徒の衣服」

キノコ雲を抜けた先に広がる大きなケースには、動員学徒が身につけた衣服の展示が広がります。あたかもそこに複数の子供たちが被爆によって横たわる姿を想起させるような在り様と、それを内包・実現する大きな平(ひら)の展示ケース環境となっています。

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

「白黒写真とカラーの原爆の絵を混ぜたリアリティーの表現」

モノクロの人の被害の資料写真と色濃く描かれた原爆の絵を前後左右ランダムに展示されています。過去の出来ごとという印象を与えるモノクロの世界に色のリアリティを被せ、決して偽ることなく当時の惨状を個々に想起してもらう手法としたとのことで、さらに床材にも工夫が。

当時の被爆の風景を彷徨う展示の展開では冷たく固い印象を与える床となっており、個々の嘆きを一つ一つ観覧する展示の展開ではぐっと柔らかい床の表情へ切り替え、マテリアルの在り方を心の状態に寄り添う視点で選定しています。来館者の行動をコントロールするかのような緻密な設計にうなるばかりでした・・・。

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

「摩擦だけで支持した服の展示」

田中さんからの説明で感銘を受けたことの一つを紹介します。

被爆した衣服の展示ですが、資料の脆弱な状態と、なるべく立ち上がって見える印象の二つの視点を大切にし、展示する斜台は衣服の自重のみで乗せられる緻密な角度と素材の検証を繰り返し、ケースの奥行きと資料と観覧者の距離感への拘りに徹しました、とのことです。

展示資料と正面で「対峙」させたいがために、資料を寝かせず、可能な限り資料を起こしながらもガラス文鎮やマグネットなどの演示具を使用しない角度で演示台を設計したデザイナーの強い思想をうかがえる手法でした。

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

「原爆などの情報を閲覧できるメディアテーブル」

これは東館、広島市の川を心象風景として描きながら情報を浮かべた「メディアテーブル」ですが、本館の「資料から感じるリアリティー」に対して、東館は「情報の事実」を展示化しているのが特徴です。どちらも重要な展示情報ですが、感じさせる狙いや、その手法の違いを見事に区分しています。

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

「折鶴再生紙を用いた素材としてのアプローチ」

本館を観覧し終わった後の外光が降り注ぐ空間は、情報を限りなくそぎ落とした上で、慰霊碑と原爆ドームの軸線が望める「今」へ馳せてもらう個々の為の空間へと仕立てあげられている。

又、情報を提供する盤面素材として折鶴再生紙を採用。行き場を失った折鶴が再生紙化され、その紙を情報盤面として新たに平和を願うオブジェクトとして転換する試みともなっています。

最後の最後まで思想とデザインすることを貫いた拘りに本当に感銘を受けました。

撮影:Nacasa & Partners 河野政人

「特別インタビュー」

Q.企画構成・空間デザイン・グラフィック編集など役割はどうやってチームアップしてますでしょうか。

A.通常、計画時はプランナー主導で企画構成し、工事段階はプランナーがグラフィック原稿にまわったりしますが、今回、東館工事段階においては自身で可能な限り膨大な資料群の詳細までみてました。笑
東館と本館でも時期が異なり、東館は最後、デザイナーでありプランナーでありライターでもありました。本館はディレクションしてチーム内にデザイナーがいたりと、ケースバイケースですね。

 

Q.史実としては気持ちが重くなる内容ですが、展示デザイナーとしてどうやって気持ちをコントロールしてましたでしょうか。

A.初めて知る情報に対して心は動きますが、一方で客観的にどうやって情報整理・展示演出するかの脳みそが動いている状態ですね。
ただ、心が動く気持ちを持っていないと逆に心を動かせないので、どちらも共存しながらバランスの中で生きる自分の性格は良かったと思いますね。
デザイナー・来館者・学び人・会社員として、すべての立場に対してのバランサーの資質が問われる職業かと思います。

 

Q.失敗談などありますでしょうか?

A.失敗談というわけではないですが・・・、プロジェクトは長いはずなのに、実際は短時間で追われながらデザイン設計しているところが「なんでこんなに時間あったのに、、」と思うことはこのプロジェクトに限らずありますね。

 

Q.自分の手掛けた仕事で泣いたことありますか?

A.自らデザインしたものでは、特にありません。
ただ、オープンした時など達成感で号泣してしまったことは5・6回あります・・・。
広島平和記念資料館でも、式典の子供たちの平和の歌は10年通った卒業式みたいな感覚で号泣しました。

 

Q.田中さんが、仕事において特に大切にしている部分はどういったところでしょうか。

A.前向きにものごとを捉え、自分の心の中だけで自画自賛する瞬間を持ってデザインしているところです。笑

「さいごに」

聞き手としては二回も訪れた広島平和記念資料館ですが、三回目また来ようと思いました。そしてその時感じるものはまた違った感想なのだろうと想像できます。

田中さま、解説とインタビューありがとうございました。そして、長期間のプロジェクト、本当におつかれさまでした!

聞き手代表:大西 亮 (乃村工藝社)